正視恐怖症は、わたしの場合、咳・咳払い恐怖症と自己視線恐怖症のこじらせがおもな原因で発症しました。
そして対人恐怖症の慢性化によってさらに症状が悪化していったという流れです。
正視恐怖症になった原因
正視恐怖症が発症した大学3年生の後半くらいまでは、自己視線恐怖症がありながらも人と目を合わせながらの会話を楽しめていました。
というより相手と目線を合わせることなど意識していません。
自然にコミュニケーションができていましたし、むしろ人と話すことが好きで会話に緊張することはありませんでした。
しかし咳・咳払い恐怖症になってから事態は悪化することになります。
咳・咳払い恐怖症発症の記事で書いたとおり、症状が長引くにつれ友人や家族の咳(咳払い)も気になり始めました。
なかでも大学のとあるゼミ仲間のひとりについてはトラウマもので、正視恐怖症になった一番の原因です(その人には申し訳ないですが)。
普段はケロッとしている男性でしたが、わたしと話すときだけなぜか咳や咳払いが止まりません。
そのときすでに自己視線恐怖症になっていたわたしは、自分の目つきに不快感を抱いてそうした反応をするのではと加害妄想をしてしまいました。
自己視線恐怖症が発症した高校生時代の苦い思い出も、この妄想を後押しします。
そういえば、あの先生は俺としゃべるときよく咳払いをしていたなとか。
とある友人は俺と目を合わせるタイミングで咳をしていたなとか。
そんな記憶がよみがえり、やはり自分が見つめると会話相手は不快になって咳や咳払いをするのではと思い込むようになったわけです。
そうした妄想や思い込みを強めてからは、以前よりも人の目を見ながら話すのがつらくなりました。
正視恐怖症の発症です。
人と会話をしているときは常に多かれ少なかれ、目を合わせると咳または咳払いで不快感を示されるかもしれないと警戒してしまいます。
咳・咳払い恐怖症の範ちゅうともいえますが、会話相手の目を見られないという点ではまさに正視恐怖症の症状といえるでしょう。
会話に苦痛や緊張を感じるほど悪化
しばらくして、そのゼミ仲間だけでなく、他人はもちろんサークル仲間、中学・高校・予備校時代の友人や家族と話すときも居心地の悪さや苦痛を感じるようになってしまいました。
とくに就職活動時の面接や、実際に就職してからの仕事の打ち合わせなどでは目線を何度もそらしたりできないので、人と目を合わせる恐怖心からいつもソワソワしていたものです。
そのころ対人恐怖症が完全に発生していたのも正視恐怖症の原因だと考えています。
単純に「人がこわい」と思っていれば、人の目を見られないのは当然ですね。
相手の目線から逃げるようなオドオドした目つきになってしまいます(目がキョドる、ともいいます)。
また自宅療養後に在宅での仕事を始めたわけですが、このころから正視恐怖症はさらに悪化しました。
コミュニケーションの機会が激減したため、会話することそのものに緊張感を覚えるようになってしまったからです。
とくに他人と話すときに顔がこわばり、相手をにらむような目つきになってしまうときが多々あります。
そうなると相手から咳や咳払いで不快感を示されることが増え、ますます目を合わせられなくなってしまいました。
会食恐怖症の自覚はまだありませんが、たまに人と食事をするとき相手と目を合わせて話すのに緊張感を覚えたりもします。
これも正視恐怖症が原因なのかもしれません。
会話中に自分の顔の表情・こわばりが気になったりもするので表情恐怖症の疑いもありそうです。