わたしは大学1年生の夏休みに目の整形(二重術)を経験しました。
視線恐怖症や咳・咳払い恐怖症を治したいと考えたからです。
しかしいま振り返ると、(手術は成功したとはいえ)整形したことは失敗だったと思っています。
心の病気は改善するどころか悪化しましたし、人間関係もうまくいかなくなりました。
もうすっかり二重の糸は取れて現在は一重の状態ですが、当時を振り返って経験談・失敗談を書き残しておきます。
わたしと同じ理由で目の二重整形をしようか悩んでいるなら、止めておいたほうが後悔せずにすみますよ…。
整形を決意した理由
目つきを良くしたいという願いは、中学生のころから強く抱いていたように思います。
当時から自分の顔にコンプレックスを持っていたのです。
高校生のころ脇見恐怖症や自己視線恐怖症を発症してからは、さらに二重へのあこがれが強まりました。
そして大学生になり咳・咳払い恐怖症を発症したことで、整形を決意するようになります。
理由は一種の被害妄想です(当時は妄想に気づいていませんでしたが)。
他人がわたしの視線・目つきに嫌な気持ちを抱き、さらには咳や咳払いをしてくると思い込んでいたわけです。
一重の目を二重にすれば、他人に不快感を与えずにすむだろうと考えました。
あのころの二重整形手術は、簡単な埋没法でも10万円くらいのお金が必要だったと記憶しています。
2カ月のバイトで貯めた全額が手術費用に消えました…。
それでも当時のわたしにとっては、一重のままでいることのほうが大変つらかったのです。
ちなみに両親は、わたしがそのつらさを訴えたことで整形手術には賛成してくれました(視線恐怖症などについては十分に理解してくれていないようでしたが)。
視線恐怖症が治るどころか悪化
整形手術(埋没法)は無事に終わったものの、悲惨な現実を突きつけられることになります。
目を二重にしても、あいかわらず日々の生活で人の咳・咳払いを何度も聞かされるわけです。
目つきを良くしたはずなのになぜ咳や咳払いをされるのだろう…?
覚悟を決めて大金をはたいて手術を受けただけに、すごく落ち込みました。
おかげで視線恐怖症は治るどころかむしろ悪化したように思います。
自分の目つきにますます自信が持てず、目の置き所が余計にわからなくなったのです。
自分自身の存在そのものが不快なんだろうかとか、体から変なオーラが出ているんじゃないかとか加害妄想をするようにもなりました。
整形までしても変わらない現実に恐れを感じ、やがて対人恐怖症の発症に至っています。
また街を歩いたり電車に乗っているときは、整形していることが他人にバレているのではという不安も大きかったです。
人目がさらに気になってしまい、他者視線恐怖症も悪化しました。
人間関係もうまくいかなくなる
整形を経験すると、やはり既存の友人などに会いづらくなります。
わたしは視線恐怖症などを治せなかっただけでなく、人間関係のほうもうまくいかなくなってしまったわけです。
まず、手術を受けた夏休みのあいだは友人からの誘いをすべて断ってしまいました。
術後のまぶたの腫れ(はれ)がひどく、恥ずかしくて外をほとんど歩きたくなかったのです。
腫れが治まってからも、整形後の自分を友人に見せる勇気がなかなか湧きません。
とくに中学・高校時代の旧友には自分の姿を見せたくなかったので、彼ら彼女らとは距離を置くことになります…。
仲の良かった友人とは何度か遊びましたが、わたしの整形に気づいているようで気まずい感じでした。
また、整形後に加入した大学サークルの友人たちにも卒業後は会っていません。
卒業して数年後に二重手術の糸が取れて一重に戻ってしまったからです。
いずれにしても、わたしのほうから整形の事実をカミングアウトすれば済む話でしょう。
ただ、当時はまだ整形という行為そのものが好奇の目でみられていましたし、整形理由が視線恐怖症というのも説明をためらってしまいます。
結局、整形をきっかけに友人たちとの人間関係がほとんど終わってしまいました(「わたしのほうから終わらせた」ともいえます)。
いまとなっては対人恐怖症が慢性化しているので、修復する気はあまりないですけどね。
目つきを良くしようと整形しても、視線恐怖症や咳・咳払い恐怖症の根本的な解決には至りませんでした。
むしろ症状が悪化し、友人などとの人間関係もうまくいかなくなってしまったのです。
いまは二重整形手術の値段が安くなり金銭的には気軽に受けられますが、後悔のないよう慎重に検討することをおすすめします。
見た目を変えるだけでなく被害妄想的な考え方を改めなければ、視線恐怖症などの対人恐怖症は改善しないでしょう。