人に対人恐怖症を打ち明けるのは勇気がいりますよね。
「言ってもわかってもらえない、理解されないかも…。」
「わかってもらっても相手に迷惑をかけることになったらどうしよう…。」
わたしもこうした思いから周囲にあまり言わずにいたんですが、家族、彼女や親友には打ち明けました。
どちらかというと「打ち明けた」というより、打ち明けることになったというケースが多いですが(汗)。
家族に対人恐怖症を打ち明けたときの話
家族とくに両親には、これまで何度も対人恐怖症を打ち明けています。
心の病気にかかっていることをなかなか理解してもらえなかったからです。
最初に打ち明けたのは、高校を卒業したばかりのころ。
大学受験に失敗し両親に予備校へ行くよう勧められたんですが、視線恐怖症(おもに脇見恐怖症)を理由に断りました。
当時はもっぱら視線恐怖症で悩んでいて、こんな状態では受験に集中できないと思ったわけです。
しかし父親は「冗談を言うんじゃない」と、ほとんどわかってくれませんでした。
母親は父親の言いなりなので、その場で聞いているだけという状況です。
「本当に精神病なら長期入院させるぞ」とも言われましたが、そこまで深刻な状態じゃないと思っていたので仕方なく予備校へ…。
あれから10年後くらいに勇気をもって父親に当時の心境を聞いてみたところ、「息子が心の病気を持っているなんて受け入れたくなかった」と言っていました。
気持ちはわかりますが、自己中心的な考えだなとも思ったものです。
あのとき精神病院に入院させられていたら今どうなっていたか考えると安心できませんが、もう少しわたしの悩みを理解してほしかったと思っています。
次に親に打ち明けたのは大学生時代です。
一人暮らし中に対人恐怖症が発症・悪化し、部屋に引きこもるようになってしまいました。
誰からの電話にも出ないようにしていたら、ある日とつぜん家族が自宅アパートへ訪れてきたのです。
片づけもせず荒れ放題の部屋と病的にやつれたわたしをみて両親と弟は動揺していました。
当時は自分が引きこもりになるなんて恥ずかしいと思っていたので周囲には隠していたんですが、そんな家族の表情をみたら言い訳できません。
対人恐怖症について打ち明けることになったのですね。
両親は現実を受け入れきれず、残念な気持ちに包まれているようでした。
弟は、尊敬している兄の変わり果てた姿をみてポロポロ涙をこぼしていました…。
自分で書くのもなんですが、名門大に進学した自慢の存在が落ちぶれたことに両親も弟もショックを受けたんだと思います。
しかし残念なことに、家族はまだわたしの病気を十分に理解していないようでした。
というのも公務員試験に合格し就職する直前のころ、対人恐怖症を理由に内定を辞退しようとしていたんですが家族の猛反対にあったのです。
ある日、母親と弟がわたしの自宅へやってきて就職するよう言ってきました(父親は仕事で不在)。
それでも無理なものは無理だと反論したところ母親は泣き出してしまい、付き添っていた弟はその様子をみてわたしに怒り出す始末…。
母親としては、育ててきた息子に真っ当な道へ進んでほしいんだと思います。
弟も「お兄ちゃんはまだまだやれる」と思っていたようです。
あれだけの引きこもり状態をみておきながらこういった無理じいができるのは、見た目だけでは対人恐怖症の病状がいまいちわからないからでしょう。
対人恐怖症のつらいところです(骨折とか知名度のある病気(ガンなど)なら患者本人のつらさが理解されやすいんですけどね)。
仕方なく家族のお願いを聞き入れ就職してみましたが、やはり対人恐怖症に悩み半年でクビに。
ここでようやく、家族がわたしの症状について理解してくれました。
結局、クビにされたという客観的な事実のほうが説得力があったようです。
とはいえ何度も打ち明けた意味はあったと考えています。
家族が前から対人恐怖症という病気の存在を知っていなかったら、クビになった理由をすんなり受け入れてくれなかったでしょう。
もうひとつの症状である咳・咳払い恐怖症については、自宅療養が始まってから始めて告白しました。
同じ症状の人が身の回りはもちろんネットでもなかなかいなかったので、マイナーすぎて理解してもらえないだろうと思ったからです。
打ち明けたところ家族は「生理現象なんだから気にしても仕方ない」と言っていましたが、不思議なことにそれから家族の咳や咳払いが増えた気がします…。
勘違いだと良いんですが、いまだに原因がよくわかっていません。
彼女に対人恐怖症を打ち明けたときの話
公務員として働いていたころ、付き合っていた彼女に対人恐怖症について打ち明けました。
…というより、強制的に言う羽目になったというのが正しいです(汗)。
当時わたしは心療内科から処方された薬を飲んでいたんですが、ある日その薬が彼女に見つかってしまったんです。
彼女は保健師で薬学にはある程度くわしいので、下手な言い訳は通用しません。
あきらめて正直に自分の対人恐怖症を打ち明けました。
ところが返ってきた言葉は「気にしすぎなんじゃない?」の一言。
やっぱり健常者にはわかってもらえない病気なんだと悟ったものです。
その後なんとか働き続けたんですが、前述のとおりクビになってしまいました。
すると残念なことに彼女から別れを告げられてしまったんです。
「俺が病気だから別れるのか」と何度も聞きましたが、彼女は「そうじゃないよ」としか答えてくれませんでした。
しかし後日、彼女と再会をしたときに彼女がふとこんな言葉を漏らしたのです。
「◯◯(わたしの名前)が病気じゃなかったらなー。」
対人恐怖症でなければまた付き合うのに、という意味でしょう。
やはりあのときフラれたのは、わたしの心の病気が理由というわけです。
その言葉を聞いたときはヘコみましたが、仕方ありません。
結婚や将来のことを考えれば、相手がメンヘラなのはとても不安です。
ただ、彼女はわたしを見放しませんでした。
定期的に電話をかけてきてくれましたし、対人恐怖症の訓練も兼ねてよく遊びに誘ってもくれたものです。
脇見恐怖症や咳・咳払い恐怖症といった理解しにくい症状についても、だいぶ受け入れてくれるようになりました。
現在はわたしと結婚し、妻として支えてくれています。
なので、あのとき打ち明けることになって逆に良かったのかもしれません。
対人恐怖症であることを知らせずに結婚まで突き進んでしまったら、結婚生活は失敗に終わっていたことでしょう。
正直に自分の病気を告白し、それでも付き合ってくれる相手をみつけたほうがお互いにとって幸せです。
親友に視線恐怖症を打ち明けたときの話
中学生時代と予備校生時代の親友には視線恐怖症を打ち明けています。
どちらも大学生のころの話です。
中学生時代の親友には、ひさびさに再会したとき打ち明けました。
そのときファミレスで会話をしていたんですが視線恐怖症の身にはとても苦痛だったため、その場で助けを求めるかのように自分の病気を告白したんです。
彼は真剣に聞いてくれましたが、やはり健常者には理解しにくい病気のようで「気にしないでいこう」という意見でした。
予備校生時代の親友に打ち明けたのは、目の整形手術を受けたときのことです。
視線恐怖症解決のため目を一重から二重に変えたんですが、ほとんどの友人はそのことに触れてきませんでした(苦笑)。
そんななか親友だけが「なんで整形したの?」と真剣に理由を聞いてきたんです。
彼をとても信頼していたので、正直に視線恐怖症について告白しました。
しかし彼は「あまり気にしないほうがいいよ。別に◯◯(わたしの名前)の目つき悪くないし、人に迷惑かけてない」と言ったきりで、それ以来とくに病気について触れてきません。
どちらもわたしの訴えを聞いてくれましたが、やはり視線恐怖症の苦しみそのものはわからなかったようです。
打ち明けてからは接し方に変化はなく、いつものように外出を誘ってきたので視線恐怖症者としての自分を受け入れてもらっていない気分になりました。
自分がメンヘラでも変わらない態度で接してくれるのはありがたいことでもあるんですけどね。
なので同情が欲しいのなら期待を裏切られてしまうかもしれません。
ただ、この「気のせい」という言葉はある意味で真理だとも考えています。
また、わたしは家族や彼女に打ち明けたことで状況が多少なりとも好転しました。
対人恐怖症の自分を受け入れてもらうべく、正直に告白したほうが良い場合もあるでしょう。
ちなみに視線恐怖症について話したら相手も同じ症状になってしまうなどと不安になったりしましたが、全然そんなことありません。
打ち明けた誰もが視線恐怖症や対人恐怖症にならずに、不自由なく社会生活を送っています。