「やられたらやり返す」という言葉を親のしつけや学校教育で叩き込まれた人は少なくないでしょう。
わたしも幼稚園や学校でいじめられたときは、よく父親に「やられたらやり返せ!」と言われていたものです。

この「やられたらやり返す」主義をつらぬいた結果、わたしは騒音ノイローゼを悪化させてしまいました。
さらには「やられる前にやる」主義にもなり、一時期はキ◯ガイじみた暮らしぶりだったように思います。

「やられたらやり返す」でノイローゼが悪化

床を強く踏む

雑音恐怖症を発症してさまざまな音に対してノイローゼになっていたわたしは、しだいに「やられたらやり返す」ようになっていきました。
自分が一方的に我慢し続けていても問題は解決しないと感じ、騒音主に自分の苦しみをわからせてやろうと考えたのです。

集合住宅の上階・下階や隣りの部屋から物音が聞こえたら天井・床や壁を殴る(蹴る)。
上下階や隣りの住人が窓やドアを強く閉めたら自室の窓・ドアを思い切り閉める。
街で視界にいる人の咳や咳払いを聞いたら咳(または咳払い)をし返す。
ひどいときは家のベランダ近くで鳴いているカラスに対して窓ガラスを叩いて応戦……などなど。

しかし、こうした仕返しを行っても音に対する悩みは全然なくなりませんでした。
あいかわらず家では生活騒音が聞こえますし、外に出れば咳・咳払いを聞かされます。
やはり自分以外の人間を変えるのは簡単ではありません。

むしろ「やられたらやり返す」主義で仕返しをすると、相手もそれに気づいてバトル(喧嘩)を仕掛けてくることが多かったです。
天井を殴れば向こうは床を蹴ってきますし、わざと咳払いをすれば向こうもそれに呼応するように咳払いしてきます…。

こうした騒音バトルを続けた結果、音に対するノイローゼがますます悪化してしまいました。
物音や咳(咳払い)が聞こえたら必ず何かやり返さないと不愉快な気持ちになってしまい、イライラ感やソワソワ感がとてつもないのです。

加えて、やられたら「すぐ」やり返さないと仕返しをしている感じにならないと考えていたので、常に物音・咳(咳払い)に対してアンテナを張っている状態でした。
これにより、さらにそうした音に敏感になるという悪循環におちいったのです…。

「やられる前にやる」でキ◯ガイじみる

騒音ノイローゼがさらに悪化した結果、「やられたらやり返す」では不愉快な気分があまり晴れず「やられる前にやる」ようにもなりました。
物音や咳・咳払いを聞かされる前に自分からわざと音を出して相手を威嚇しようと考えたわけです。

たとえば集合住宅の自室にいて上下階や隣りの部屋に住人がいることに気がついたら、こちらから先に天井・床や壁に物をぶつけていました。
それでも騒音バトルが終わらなかったので、スピーカーを天井や壁にくっつけておいて足音などの効果音を流していたこともあります。
(もはやわたしのほうが迷惑な騒音主ですよね…汗)

また大学生のころは、人の多い教室などで気まずい空気感を察知したらわざと咳や咳払いをしたりもしていました。
頻度でいうと10秒に1回くらいのペースで、周囲の学生に白い目で見られても意地になってやっていたものです。

こうした行動はまさにキ◯ガイじみたものと言って良いでしょう。
健常な心の持ち主なら絶対にやらない行動ですよね。

対人恐怖症にまでなったのは、こうした「やられる前にやる」主義で毎日を生きていたせいもあると考えています。
ありとあらゆる他人を敵視してしまう癖がついてしまい、やがて人に恐怖を感じるようになりました。

少なくとも音の問題に関しては、「やられたらやり返す」「やられる前にやる」の姿勢で対応して良かったことはひとつもありません。
自身の騒音ノイローゼを悪化させてしまっただけです。

いまも人の出す物音や咳・咳払いが多少なりとも不愉快に感じますが、それらにとらわれ続けると精神状態がおかしくなってしまいます。
騒音バトルはもう止めにして、身の回りの環境や自分の考え方を変えることにエネルギーをそそいだほうが健全でしょうね。