わたしが長年にわたって悩み続けている脇見恐怖症
発症してしまったのは、高校2年生のときです。
いまとなってはトラウマのような出来事といえます。

脇見恐怖症が発症したきっかけ

教室の机

ある日の学校での授業中、ふと隣の男子生徒が貧乏ゆすりをしているのに気がつきました。
かなり激しい貧乏ゆすりで、授業中のほとんど太ももが上下にユサユサ動いていたんです。
脇見恐怖症じゃない人でも気になるレベルだったと思います。

その男子の貧乏ゆすりは、その日だけでなく毎日つづきました。
1日だけなら忘れられたでしょうが、毎日たえず貧乏ゆすりをしているので授業中は気になって仕方がありません。
だんだんと授業の内容より貧乏ゆすりのほうに注意が向いていってしまいました。
ノートをとっているときは横目で太ももが動いているのが確認できてしまいますし、黒板や先生のほうをみるときも視界に貧乏ゆすりが入ってきます。
校内模試や定期考査といったテスト中でも貧乏ゆすりは止まず、問題文を読んでいる横目で足がずっと動いている状況…。

授業やテストにまったく集中できなくなってきたのでその男子に貧乏ゆすりを止めるよう言おうかと思ったのですが、恥ずかしくてできませんでした。
「気にしすぎでしょ」と周りのクラスメートに思われるのが嫌だったからです。
自分の中でも「しょせんは貧乏ゆすり。こんなの気にしてどうする」というプライドがあって、どうしても言う気になれませんでした。
高校生のころは自尊心が高かったせいか、自分が小さいヤツと思われたくなかったし自分でもそう思いたくなかったんですよ。

その男子はあい変わらず貧乏ゆすりの毎日でした。
貧乏ゆすりそのものへのイライラと、止めるよう注意できないモヤモヤがどんどん溜まっていきます。
「気にしてはいけない」と自分に言い聞かせたり、自己防衛として頬杖をついて貧乏ゆすりを見えないようにしたり、つらいときは寝たふりもしていました。
テスト中に寝たふりは無理だったので発狂ものです…。

しかし悲しいかな、そうした対処策が逆に仇となって、余計に貧乏ゆすりが気になるようになってしまいました。
神経症用語でいう「とらわれ」ですね。
見たくないのについつい見てしまうわけです。
頬杖を外したらまた貧乏ゆすりがみえるのかなとか、先を予想して不安を抱くようにもなりました(「予期不安」にも近いですね)。

この不安が脇見恐怖症への引き金となった気がします。
ほかの生徒に対しても、いつ貧乏ゆすりをするのだろうかと気にするようになってしまったんです。
席替えをして友達やクラスメートが隣に座ったときも、選択授業のとき別のクラスの生徒が隣の席に座ったときも、貧乏ゆすりしないかどうか気になるようになりました。

あの男子の貧乏ゆすりがトラウマになったわけです。
気づけば、横目で隣の席の人の行動を確認する癖がついてしまっていました。
いわゆる確認行為(強迫性障害のひとつ)ですね。

こうなると脇の視界はどんどん広がっていきます。
自分は前を向いているつもりなのに、隣の席の人の動作まで見えてしまうんです。
視界のなかにいつも隣の人がいて、黒板、ノート、教科書やテストの問題文に目のピントを合わせられません。

やがて隣の席はおろか、斜めうしろの席やうしろの席の人も気になるようになっていきます。
斜めうしろの人の足の動きが視界によく入るようになったときは、もう自分の目がおかしくなったのではと思いましたよ…。
このころは完全に脇見恐怖症が発症していたといえますね。

どんどん悪化していく症状

もっと悪いことに、やがて隣の席の人が自分の気配にきづくようになりました。
視線は送られていない(目線を向けられていない)けれど、見られている感じがしたんでしょう。
隣の人が手で横顔を隠したり、本を積み上げて目隠しをしたりする頻度が増えていきました。
ひどいときは舌打ちをされたり…。
貧乏ゆすりも、あの男子だけではなくなっていきました。
とくに仲の良い友達に反応されるのはつらい…。

なかでも罪悪感が強くて、自分のせいでほかの生徒の学力が落ちたらどうしようかと心配していました。
通っていた高校は進学校なので、みんな勉強にまじめです。
そんななか、わたしが脇見で迷惑をかけてしまったら、大学受験を失敗させてしまったら…。
悪い妄想ばかりを考えている日々でした(専門的には「思春期妄想症」というようです。統合失調症でいう関係妄想ともいえます)。

みんなの迷惑にならないよう、自習室にこもったり、教室のすみのほうにいることが多くなりました。
ちなみに自分はというと、脇見のせいでどうせ浪人決定だろうとほぼあきらめていましたよ(汗)。

そのうち学校だけでなく、通学中の電車内、街を歩いているときや店内にいるときにも脇見恐怖症の症状が出るようになります。
赤の他人を意識したりチラチラ見てしまうわけです。
人がたくさんいるなか通学するのがつらいので、無理やり早起きして始発付近の電車を使っていました。
コンビニや本屋では立ち読みができなくなり、スーパーやデパートのレジに並ぶときも客が横に並ぶと冷や汗ものです。

そしてとうとう自宅にいるときまで脇見恐怖症が発症。
家族と落ち着いて食事ができなくなったり、家族と同じ空間でテレビをみたりゲームをしたりするのが苦痛になりました。
このころ父親の歯の調子が悪かったのも余計に症状を悪化させた気がします。
父は食事中に咀嚼がうまくいかないためか、しょっちゅう「チッチッ」と口を鳴らしていました。
舌打ちしているような音なので、わたしの脇見のせいで鳴らしているんじゃないかと妄想してしまったんです(これも関係妄想に近いですね)。

脇見恐怖症にとらわれ続ける日々

こんな感じで雪だるま式に症状が悪化していったんですが、家族、友人や先生に脇見恐怖症の悩みを相談できませんでした。
相談することで相手がわたしの脇見を(さらに?)気にし始めるのがこわかったですし、相手まで脇見恐怖症になってしまったら罪悪感でたまらないからです。
また症状について説明したところで理解してもらえないという、あきらめの気持ちもあります。
それでも高校OBの精神科医が何日か学校に滞在したとき相談してみましたが、やはり理解してもらえず「ただの思い込み。思春期にありがちな自意識過剰だよ」との言葉で片づけられました。
精神科医ですらそんな診断です。

今みたいにネットの掲示板などでやり取りする時代ではなかったですし、もう自分の中で自分と相談するしか方法はありませんでした。
それが逆に妄想(思春期妄想症)を悪化させていくことになります。

自分の目つきが悪いから周囲が反応するんじゃないか。
自分の視線からビームが出ているんじゃないか。
自分から変なオーラが漂っているんじゃないか。

こうした仮説を打ち立てては検証し続けるという、「とらわれ」の日々。
無意味な高校生活を送っていましたし、このころは関係妄想の癖が付いてしまっていたように思います。

仮説を立てたり検証したりはしていたものの、当時は脇見恐怖症の克服に向けて何もしていませんでした。
「症状を治したい」「治すにはどうすればいいんだろう」とはあまり思っておらず、ただただ「脇が気になる」「脇見したときの人の反応がこわい」と恐怖していた気がします。
今みたいに脇見恐怖症という概念がなかったため、克服しようにも具体的な方法がわからなかったからでしょう。

いつしか脇見恐怖症は慢性化していき大学生になっても治らず、のちにさまざまな対人恐怖症を併発することになります…。

このように、ほんのささいな出来事がきっかけで脇見恐怖症は発症しました。
ひとりの男子の貧乏ゆすりが、ここまでわたしの学校生活そして人生を左右することになるとは…。

やはりあの日の、あのときの貧乏ゆすりはトラウマものです。
正直あの男を憎む気持ちは今でも時折よみがえりますが、結局は自分の思い込みが原因といえるでしょう。
高校生時代という多感な時期と重なってしまったために、妄想が膨らんでいったのだと思います。

でも今も悔やまれるのは、あのとき「貧乏ゆすり止めて」と言えなかったこと。
言えていたら人生も生き方も変わっていたかもしれません。

ちなみに、同じく高校2年生のころ自己視線恐怖症も発症しています
隣の男子が貧乏ゆすりをするのは、わたしの目つきが悪くて不快に感じているからではないかと勘違いをしていました。