対人恐怖症は、うつ病などにくらべて理解されにくい病気です。
そのため視線恐怖症や脇見恐怖症などの諸症状が家族や友人・知人から理解されず困っている人は多いでしょう。
こうした現状を変えるべく、社会での認知度を上げたい人もいるかと思います。
わたしもそんなひとりです。
どうすれば対人恐怖症への理解や認知が得られるのか、自分なりに考えてみました。
1. 診察を受ける
医師の診断書には説得力がありますね。
精神科や心療内科で診察を受けることで、対人恐怖症であることを客観的に証明できるでしょう。
対人恐怖症と診断してくれる医師は少ないかもしれませんが、なんらかの病名は付けられるはずです(わたしの場合「自律神経失調症」と診断されました)。
少なくとも心の病気をわずらっているという証拠にはなります。
カウンセリングを受けるのも良いでしょう。
診断書は書いてもらえませんが、対人恐怖症で本当に悩んでいるというアピールにはなるはずです。
それでも理解してもらえないような人とは縁を切るまでではないにしろ疎遠になっても良いと思いますし、会社の上司がそんな感じなら自主退職をおすすめします。
そうした心ない人の近くにいたら余計に症状が悪化するだけです。
診察・カウンセリングを受ける前には、親や上司などに相談しなくても良いでしょう。
反対されて受けにくい状況になってしまうかもしれませんので。
黙って受けて、後で言えば十分です。
ただ、重度の対人恐怖症者や未成年者なら親の付き添いが必要になる場合もあるでしょうね。
この場合にもし親に受診を反対されたのであれば、以下の方法を試してみます。
2. 人を気づかう
人への気づかいを心がけていると、相手もこちらに気をつかってくれるものです。
対人恐怖症を理解してほしい人がいるなら、その人に普段から配慮の姿勢をみせると良いでしょう。
自分の苦しみをわかってもらえずにいると、つい自分のつらさばかりを主張して相手への配慮を忘れがちになってしまいませんか。
しかし、そうした自己中心的な人の話には誰も喜んで耳を貸したくありません。
人間はみんな何らかの苦しみを多かれ少なかれ抱えながら生きていて、対人恐怖症者のみがつらい思いをしているわけではないからです。
対人恐怖症をわかってもらうには、自分のほうからも相手に気づかいをする姿勢が大切といえます。
悩みの相談にのるのはもちろん、それ以外のことでも何か配慮を心がけると、相手はこちらの話を聞く気になってくれるでしょう。
返報性の原理のようなものなんだと思います。
人に何かをしてほしかったら、まず自分から何かをするべきというわけです。
打算的かもしれませんが、わたし自身この原理に納得しています。
実家で引きこもりだったころ、両親に話をするときは大体が自分の病気のつらさを訴える内容でした。
口を開けば「つらい、つらい」ばかりでは両親もウンザリしてしまうのはわかります(汗)。
3. 一緒に出かける
上記の方法でも理解がされないようなら、相手と一緒に外出をしてみるという手があります。
どんな場面・状況がつらいのか、相手に身近で知ってもらうわけです。
おそらく体感してもらうことは難しいですが、具体的にイメージしてもらうことは可能でしょう。
たとえば親と一緒に買い物などに出かけ、対人恐怖症的につらいと感じたらその場で親にそのときの気持ちを伝えます。
「人の視線が気になる」「人前だと手が震える」などと伝えることで、親は症状を理解しやすくなるはずです。
我が子のつらい様子をみれば、どんな親でも多少は実感するのではないでしょうか。
わたし自身こうした方法を親の前で試したことがないので恐縮ですが、彼女の前ではやったことがあります。
飲食店で「隣のテーブルの視線が気になる」と小声で言ったり、ショッピングモールでは「ソワソワして落ち着かない」と感情を伝えたり、など。
おかげで彼女(現在は妻)はわたしの病気の一番の理解者です。
ただ、あまり弱音を吐きすぎるとかえって症状を悪化させそうな気もするので注意してください。
「この場面がつらい」と過度に思い込んでしまうかもしれません。
あくまで相手に対人恐怖症を理解してもらうことが目的です。
4. 情報発信をする
さて、ここまでは「対人恐怖症を個人に理解してもらうこと」についての話でしたが、今度は「対人恐怖症を社会に認知してもらうこと」についてです。
その考え方は、対人恐怖症の認知度を上げる目的が何なのかによって変わるでしょう。
認知度向上の目的が精神医療の進展や公的援助(障害年金制度など)の充実といったものである場合は、情報発信が大切だと思います。
対人恐怖症患者の立場から、日々の悩みや社会への訴えを外に発信していくのです。
同じ病気の人が集まる場所(ネット掲示板など)で発信してもあまり意味がない気がしますので、ブログ執筆や個人出版などが効果的でしょう。
(わたしが当ブログ(『わきみんブログ』)を書いているのも、対人恐怖症の認知向上が理由のひとつです。)
かかりつけの医者・カウンセラーに意見を通してみたり、テレビ局・新聞社などのメディアや医療団体・NPOに投書をしてみるという方法もあります。
聴覚障害者の方の話ですが、新聞への投書が掲載された事例があるようです。
対人恐怖症者のみなさんが何かしらの形でそれぞれ情報発信を行えば、世間での認知度が上がっていくに違いありません。
または、対人恐怖症の認知拡大を目指すNPOを有志で立ち上げるという手もあるでしょう。
ちなみに神経症のNPOなら『生活の発見会』という組織があります。
対人恐怖症は神経症のひとつともいわれていますので、参加すれば同じ志の仲間が見つかるはずです。
5. 意識を変える
いっぽうで対人恐怖症を社会に知ってほしい目的が、世間の人たちに気をつかってほしいといったものである場合はあきらめたほうが良いでしょう。
身近な人にさえなかなか理解されない病気なわけですから、他人がすんなり配慮してくれるとは思えません。
そもそも対人恐怖症者と健常者の区別はパッと見てわかりづらいため、気づかいのしようがない気がします。
(厳密にいうと視線恐怖症などの対人恐怖症者だと目がキョドっていたりするのでわかりやすいようにも思うんですが、視線恐怖症を知らない大多数の他人には不審者にみえるだけで、逆に配慮どころか警戒されてしまうのが悲しいところです。)
他人からの配慮が期待できないなら、自分の意識を変えたほうマシでしょう。
「他人なんだから気をつかってこないのが普通」と考えれば、ずいぶんと楽に生きられるはずです。
もしかすると対人恐怖症者は、(以前のわたしもそうでしたが)人に期待をしすぎなのかもしれません。
期待をしているから、それが裏切られたように感じたとき苦しい気持ちになり、人がこわくなるのでしょう。
期待をしていなければ、他人の言動にいちいち苦しむ必要がなくなります。
この「意識を変える」という方法は、なかなか理解してくれない身近な相手にも有効です。
「こういう考えの人だからしょうがない」と割り切って、別の理解者を探しましょう。
少し話がそれましたが、対人恐怖症や視線恐怖症・脇見恐怖症を理解してもらいたいなら家族や親友など身の回りの人だけで十分です。
何か目的があって社会での認知度を上げる場合は別ですが、基本的には他人にまで理解される必要はないと考えています。
前述の1.~4.の方法をご参考に、ときおり5.の考え方も取り入れてみてはどうでしょうか。