昔は対人恐怖症(視線恐怖症など)を完全に治したいと思っていましたが、それは難しいことだと現在は考えています。
とくに視線恐怖症の完治は困難であり、克服しようと努力すれば逆に症状が悪化しないとも限りません。
対人恐怖症・視線恐怖症の治療においては、寛解(全治していないが症状がおさまっている状態)を目指したほうが良いのではないでしょうか。

対人恐怖症の完治は難しい

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長いあいだ対人恐怖症者であるわたしの経験を振り返ってみると、対人恐怖症を完全に治すのは難しいです。
認知行動療法や森田療法の実践のおかげである程度は改善した気もしますが、依然として人前に出れば多少なりとも対人恐怖心が生じます。

とくに対人恐怖症の諸症状のひとつである視線恐怖症については、完治は極めて困難と思わざるを得ません。
いまも認知行動療法などを実践していますが、視線恐怖症に対しては目立った効果を実感していない状況です。
(くわしくは「認知行動療法で対人恐怖症や視線恐怖症は治る?他療法との併用が効果あり」「森田療法は視線恐怖症治療にも有効なのか」という記事で書いています。)

人や視線に対する恐怖心は長年にわたって醸成されたものなので、それを完全に消すのは簡単なことではないのでしょう。
考え方を変えて対人恐怖心を小さくしたりはできますが、根底にある苦い記憶やトラウマまではなかなか消えないものです。

対人恐怖症や視線恐怖症が完治するには、そうした記憶までも上書きするような経験(人がこわくなくなるような体験)を積んでいく必要があると考えています。
それには人との交流が欠かせないわけですが、わたしの場合は一進一退の日々です。
結婚してだいぶ人と接する機会が増えましたが、ひとりで外出して自信を深めるときがあるいっぽうで妻と一緒にいても恐怖に遭遇して気分が滅入るときもあります。

こうした一進一退の繰り返しでは、いつまで経っても病気は克服できません。
やはり対人恐怖症を完全に治すのは難しいことのように思うのです。

完治を目指すと悪化しかねない

また対人恐怖症という病気の特徴をふまえると、その完治を目指すほど症状の悪化を招きやすい気がします。
対人恐怖症は神経症(ノイローゼ)のひとつでもあり、患者は自分の症状について強いこだわりを持っている場合が多いからです。
たとえば視線恐怖症に悩んでいる患者は、自分または他人の視線にとらわれ過ぎています。

「完治を目指す」ということは病気克服に向けて行動するという意味ですから、それだけ病気に正面から対峙する時間も増えるわけです。
つまり視線恐怖症の例でいえば、視線に対して異常にこだわっている状態といえるでしょう。
そうなれば視線がもっと気になり、症状が逆に悪化しかねませんね。

わたしは視線恐怖症の各症状を発症したばかりのころは、とくに悩んでいた脇見恐怖症自己視線恐怖症他者視線恐怖症を治したいとの一心であれこれと試行錯誤していました。
しかしそれが仇となっていろいろな被害妄想や加害妄想がふくらみ、咳・咳払い恐怖症のような厄介なものまで発症してしまったのです。
病気のことばかり考えて良かったことは何ひとつありません。

加えて学生時代のわたしは視線恐怖症治療のため無理して外出を繰り返しましたが、少しも治らないことに嫌気が差してうつ病に近い状態にもなりました。
大学に行かず引きこもり続け、自殺を計画したことも何度かあります。

この点を振り返ってみても、対人恐怖症のような完治困難な病気を克服しようと無理にもがくのは得策ではないでしょう。
心をさらに病んで自暴自棄の廃人になってしまうリスクがあるからです。

「寛解で良し」と考える

対人恐怖症や視線恐怖症の治療はあきらめろと言いたいのではありません。
「寛解で良し」くらいに考えたほうが結果として快方に向かうと感じています。

人または視線への恐怖心が完全に消えていなくても、日常生活に支障がないならそれで良いとする考え方です。
こうしたスタンスで生きると病気へのこだわりがなくなり、余計に症状を悪化させずに済む気がします。

わたしは重度の対人恐怖症という自覚がありますが、普段の生活では無理に治そうとしていません。
恐怖心と折り合いをつけながら生きていけるよう、できる範囲で外出のリハビリを行っています(ひとりで散歩・病院・近所の店へ行く、妻と一緒に遠出をするなど)。
そのおかげか自宅で引きこもっていたころとくらべて、少しずつ人前でも心おだやかでいられるようになってきました。

寛解を目指すにあたっては、病院の薬に頼るのもひとつの方法でしょう。
まずは薬の力を借りて日常生活を送れるによう訓練し、段階を踏みながら断薬していくわけです。
同様の方法としてわたしは外出するときにのみ太縁メガネをかけ、脇見恐怖症や他者視線恐怖症の症状をやわらげたりしています。

話はそれるかもしれませんが、場合によっては薬や太縁メガネにずっと頼りっぱなしでも構わないのではないでしょうか。
耳の遠い方が補聴器を使ったり心臓の悪い方がペースメーカーを使ったりするのと同じです。
薬やメガネで生活が楽になるのであれば、そのような状態も寛解とみなせるように思います。

視線恐怖症をはじめとした対人恐怖症を完治させるのは難しいものです。
神経症のひとつでもあるため、症状克服にこだわるほど悪循環におちいるリスクもあるでしょう。
完治ではなく寛解を目標にしたほうが毎日を生きやすくなります。

むしろ「絶対に治したい」などと鼻息を荒くして意気込むくらいなら、自然治癒にまかせたほうがまだマシかもしれません。
下記もご参照ください。
対人恐怖症は自然に治るものではないが自然治癒も一理ある