わたしは普段の生活のいろいろなシーンで、「自分の時給」を意識しながら行動しています。
使う予定の(またはすでに使った)時間の価値を時給換算で測ることで、時間の無駄づかいが減るためです。
ただし最近は、やりすぎるのも禁物だとも考えています。

時給を意識するようになったきっかけ

大学生のころ、とある人気ラーメン店の大行列に友人と並んだことがありました。
だいたい2時間近く待たされ、対人恐怖症であるわたしには苦痛だったのを覚えています。

ようやく店内に入り注文してみるも、味はイマイチ…。
そこで当時アルバイトをしていたわたしは、こんな数式(のようなもの)を思い浮かべました。

「ラーメンの値段 + 並んだ分の時給 + 並ぶ苦痛 < ラーメンの味」

この不等式が成り立つのかどうかを考えたところ、「確実に損をした」という結論に(笑)。
あれだけの長時間、つらい思いをしながら並んだ苦労に見合うものではなかったのです。

あの出来事を経験して以来、行列にはほとんど並ばなくなりました。
並んだ先に得られる(であろう)利益と、並んでいるあいだの自分の時給を意識する癖がついたからです。

時給換算で考えると時間を無駄にしなくなる

時間とお金

こうした「時給換算での時間の価値判断」は、行列に並ぶときだけではありません。
普段の生活でも役立つシーンが多く、時間を無駄にしなくなります。

たとえば自宅からさほど遠くない人気ディスカウントストアで、激安セールが行われていた場合。
ディスカウントストアでの買い物にかかる時間の価値を自分の時給で測り、その時間価値よりも大きく出費を抑えられるのか考えます。
車からお店までの往復移動に1時間、店内での品選び・レジ待ちに2時間かかったとして、はたして3時間分の時給以上の金額を節約できたのか判断するわけです。

また、朝寝坊をしてしまったときは、寝過ごしてしまった分だけの時間の価値を時給換算します。
時給600円の人が10分寝坊するだけでも、「100円損した」ということになりますね( 600(円) ÷ 60(分) × 10(分)で計算)。
時給3000円の人が10分寝坊したら、そのあいだに500円も損したということです( 3000(円) ÷ 60(分) × 10(分)で計算)。

こんなふうに自分の時給を基準にして時間の価値を判断すると、時間の大切さがわかってきます。
毎日の生活のあらゆる場面において無駄な行動がみえてくるはずです。

時給で判断してばかりだと人生を無駄にするかも

基本的には時給換算で行動したほうが良いと思いますが、やりすぎには気をつけるべきでしょう。
なんでもかんでも自分の時給で考えると、生活が息苦しいものになるからです。
ひいては人生そのものを無駄にしてしまうかもしれません。

自分の時給を意識して物事の価値判断をしていると、自己中心的になりがちです。
損得勘定をしながら生きるようになりますからね。
ちょっと自分に不都合なことが起きただけでストレスがたまりやすくなります。

また、自分の時間を大切にするあまり孤独にもなりやすいです。
友人と遊んだり家族と連絡を取り合ったりする時間すら、もったいないと感じてしまう。
人間として、とてもむなしいことだと思いませんか。

わたし自身、多くの友だちとの縁が切れたのは対人恐怖症になったのが一番の原因ですが、こうした時給換算で思考する癖もひとつの理由だと考えています。
かつてのマスターカードのCMよろしく、家族や友人との時間は「プライスレス」(Priceless)であり時給では測れません。

つまりは大切な人との付き合いを除いて、日常生活・雑用などで自分の時給を意識するのが良さそうです。
これなら時間を無駄にしなくなるいっぽうで、人生まで無駄にすることは防げると思います。