脇見恐怖症をはじめとした視線恐怖症、雑音恐怖症や咳・咳払い恐怖症に苦しむなかで発症したのが対人恐怖症です。
(細かくいえば前述の3つの症状も対人恐怖症の種類とされていますが、人間に対する恐怖をはっきり自覚しているかどうかという観点でわたしは分けて使っています。)
対人恐怖症の一番の原因は咳・咳払い恐怖症
対人恐怖症になった一番の原因は、大学生のころ発症した咳・咳払い恐怖症です。
少なくとも視線恐怖症にだけ悩んでいた高校生のころは、人がこわいという自覚はほとんどありませんでした。
大学3年生の後半くらいから咳・咳払い恐怖症が悪化し他人への敵意・警戒心がより強まったことで、他人への恐怖心もますます強まることになります。
他人は敵であり、咳や咳払いはその敵の攻撃。
そんなふうに思い込んで咳(咳払い)を聞かないよう他人を避け続けたために、余計に他人がこわくなってしまったわけです。
やがて友人や家族も避けるようになってしまいました。
彼ら彼女らへの不信感が高まってしまったからです。
自分はこんなに悩んでいるのに相手は平然と咳または咳払いをする。
この事実に、わたしは親しい人にも裏切られた気持ちになりました。
親友も両親もこの苦しみをわかってくれないという気持ちが、人に対する不信感をどんどん高めていきます。
コミュニケーションをとっていても心のどこかに不信感があり、居心地の悪さを感じました。
結果、友人とも家族ともできるだけ接触しないようになってしまったんです。
対人恐怖症が悪化し、どんどん孤独に
こうして他人だけでなく家族まで避けるようになり、 対人恐怖症が完全に発症。
通学中も、大学でも、バイト先でも、買い物をしているときも人がこわい…。
社会生活が日に日に難しくなっていき、部屋に引きこもりがちになりました。
大学にほとんど行けなくなり、たとえ単位を落としそうになっても外出の恐怖のほうが勝ってしまうほどです。
かろうじて外出しやすいのは人の少ない深夜で、近くのコンビニにコソコソと1週間分の食料を買い出しに行っていました。
その帰り道で「どうしてこんなふうになってしまったんだろう?」とひとり夜空をみながら泣いたこともあります。
しかし対人恐怖の思考パターンは変えられず、できるだけ人と接せずに生きることばかりを考えていました。
日々の恐怖が全然なくならないからです。
人づきあいよりも自分を守ることが最優先。
そんな態度を察してか、友人たちはわたしに構わなくなりました。
大学2年生のときから付き合っていた彼女もわたしに愛想をつかしました。
どんどん孤独になっていき、対人恐怖症はさらに悪化していきます。
自分以外の人間すべてが敵に思えるようになってしまったんです。
むしろ自分がほかの人間にとって敵、不快な存在なのではとも考えました。
だから咳(咳払い)をはじめとした不快な態度を自分に示すんだろうと。
自殺しようと何度も思ったものです(いまはそう思うこともなくなりましたが)。
対人恐怖症は、これまで発症した各種の症状の集合体だと身をもって感じています。
視線恐怖症、雑音恐怖症、咳・咳払い恐怖症のどれもが基本的に人間への恐怖を根底としているものです。
これらの各症状を経て、人間に対する恐怖心が顕在化したんでしょう。
なるべくしてなったといえます。
このゴールにはたどり着きたくなかったです。