公務員を退職してからネットで稼ごうと頑張りましたが失敗ばかり…。
そんな毎日で一人暮らしを続けるお金がなくなってきたので、対人恐怖症の療養も兼ねて実家へ戻ることにしました。

しかし自宅療養が長引き部屋に引きこもりがちになったことで、外出恐怖症も発症することになります。
やがて社会恐怖症とでも表現できるような状態になり、ついには引きこもり生活から脱出するのをあきらめてしまいました。

引きこもりがちになり外出恐怖症を発症

自宅療養が始まったころは対人恐怖症のリハビリを頑張っていたものです。
近所を散歩したり母親の買い物を手伝ったりたまに旧友と会ったりと、できるだけ外出するよう心がけていました。

しかし、やはり人間は楽をしたがる生き物なんでしょう。
対人恐怖症という症状に甘えて、外出の頻度はだんだん減っていきました。
両親は外出を強制してきませんでしたし、自分としてもわざわざこわい思いをしながら外を歩きたくなかったからです。

社会恐怖

そうして家に引きこもりがちになったことで、外出恐怖症が発症しました。
いままで「人」がこわかったのが、今度は「外に出ること」そのものにも恐怖を感じるようになったわけです。

それでも精神科には月に1回ほど通院しなければならなかったんですが、その際は必ず恐怖感に襲われたのを覚えています。
しばらくぶりの外の世界がこわい…。
玄関のドアを自分で開けるのが嫌で、母親がドアを開けてからその後をついていくように外出していました。

外出恐怖症になってからは自室に引きこもるようにもなっていきます。
咳・咳払い恐怖症により両親の咳や咳払いを聞きたくなかったこともあり、自室のドアすら開けるのを警戒するようになりました。
自分の部屋だけが快適な空間で、それ以外の場所にとてつもない居心地の悪さを感じていたんです。

アルバイトに失敗し社会への恐怖感が強まる

ただ、引きこもり生活から脱出したいという気持ちもありました。
外出恐怖症や対人恐怖症を治したいという思いがまったくなかったわけではありません。

そこでアルバイトを始めてみることにしました。
バイトなら強制的に外出せざるを得なくなるだろうと考えたわけです。
散歩や買い物の付き添いだと、どうしても自分や両親に甘えてしまいますから。
正社員への再就職も考えましたが、まずはバイトからステップアップしていくことにしました。

しかしバイトを始めたことで症状は悪化することになります。
コンビニと塾講師のバイトに挑戦してみたものの、どちらも失敗。

コンビニのバイトについては、応募時の面接で不採用となりました。
そのときの相手(店長)が、挙動不審なわたしを明らかに怪しむ目つきで見ていたのを覚えています。
「こいつ大丈夫か…?」みたいな。
面接に行くことがひさびさの外出だったので、よほどキョドっていたんでしょう。
おかしな人間を客商売のレジに立たせたくないのはわかりますが、出鼻をくじかれた感じでショックでした。
やはりわたしは世間に不審者扱いされるんだな、と…。

塾講師のバイトでは、学歴が十分との判断で採用してもらえました。
ところが対人恐怖症のせいで仕事がうまくできなかったのです。
個別指導の塾でしたが、教える生徒にまで脇見恐怖症の症状が出てしまって集中できません。
ほかのバイトの人たち・生徒の視線や咳(咳払い)も気になりましたし…。

仕事ができない期待はずれなヤツと思われたのか、塾長のわたしへの態度は冷たくなっていきました。
バイト仲間もできず、一人だけ教室で浮いているような感じです。

極めつけは、塾長がわたしをシフトに入れなくなったこと。
担当していた授業の予定が少しも入らないので塾に電話をしてみると、「シフト入れるのを忘れていた」と塾長本人から言われました。
ありえない話です。
わたしを雇い続けたくないんだなと思い、その電話で退職の旨を伝えました。
するとあっさり「わかりました」と。
やはり辞めてほしかったわけですね。

公務員をクビになった苦い思い出がよみがえり、またしても「社会不適合者」と認定された気分になりました。
しかもこっそりバイトを(事実上)辞めさせられていたのがわかり、人間への不信感がさらに高まりました。
コンビニバイトの件もあいまって、このころから社会への恐怖感が芽生え始めていきます。

再就職活動で社会恐怖症に

しかしまだ引きこもり生活からの脱出をあきらめたわけではありません。
今度は正社員(サラリーマン)を目指し始めました。
バイトからのステップアップは失敗しましたが、早く働きたいとの焦燥感がそうさせたんだと思います。

ところが正社員への再就職活動も失敗。
結果、社会恐怖症とでもいえるような状態になってしまいました。

再就職を希望していた会社はふたつです。
少ないですが、どちらも東京にある会社だったので田舎住まいのわたしには面接を受けるだけで精一杯だったのです。

しかもこのうちのひとつは面接当日にドタキャンしてしまいました。
電車に乗るのがこわくなったからです。
自宅でスーツを着て身じたくを整えたものの家から出られませんでした。
当初は早い時刻の特急電車に乗る予定だったんですが、どんどん先延ばしをして最終的に行かずじまい…。

「なぜここまで準備して体が動かないんだ」
「大切な面接の約束をやぶってしまうほど電車に乗るのがこわいのか」
そう自問自答しながら激しく自己嫌悪になり、社会で活動する自信をまた失いました。

後日、もう1社との面接です。
今度はドタキャンするわけにはいきません。
それでも直前まで葛藤をしていて、ギリギリの時刻に会社へ到着。
なんとか面接に臨めたものの、不採用に終わってしまいました。

おそらく対人恐怖症の症状がバリバリ出ていたからです。
東京に着いて人ごみをみた時点で、わたしの警戒心は最大に。
ふとトイレで鏡をみると、目つきは悪くなり表情もこわばっていました。
そんな顔つきで面接に臨んだら相手は引きますよね。

笑顔をこころがけていましたが、ところどころでおかしな顔つきになっていたんでしょう。
ここでも「こいつ大丈夫か…?」と思われた気がします。
実際、面接ではどこか気まずい変な空気になっていました。
志望動機や自己アピールを話す以前の問題だったわけです。

結局たった2社の再就職活動で、社会への恐怖心をますます強めてしまいました。
社会で活動する勇気のない自分と、そうした自分を不審な目でみる世間。
外の世界へ出るのが完全にこわくなりました。

引きこもり脱出をあきらめる

自宅療養を始めてから1年3カ月ほど。
社会恐怖症を自覚するようになって、引きこもり生活からの脱出をついに断念。
「引きこもりでいいや」とあきらめるようになりました。

両親が亡くなってもネットでの稼ぎが少しあるから生活費は用意できるし、住む家も実家をそのまま引き継げばいい。
本当に困ったら生活保護の受給という方法もある。
無理に社会に出なくても生きていけるだろう。
人と会うのも外に出るのもこわいし、引きこもりのままでいいや…。

そう考え、引きこもり人生を歩もうと決意。
しばらく自室にこもって堕落した生活をおくることになります。
昼夜逆転。
三食昼寝つき。
やることはネット・ゲーム・アニメだけ(ニコ厨といえるくらいニコニコ動画中毒でした)。
当時は「これはこれで悪くないんじゃね?」「ヒキニートも楽しいなw」とすら思っていたものです。

わたしの対人恐怖症は、自宅療養中に外出恐怖症と社会恐怖症にまで悪化しました。
やはり外の世界や社会との接触を避けていると引きこもりからの脱出は困難ですね…。