視線恐怖症をはじめとした対人恐怖症でいつも苦しい思いをしていると「このままでは生きていけない」「死ぬしかない」なんて考えますよね。
しかし対人恐怖症が治らないままでも生きる方法はあります。
「逃げ」かもしれませんが、現実的な生き方ともいえるでしょう。

対人恐怖症でもやっていける生き方を考える

対人恐怖症者の生き方

「生きていけない」などと考えるのは、対人恐怖症(または視線恐怖症)のせいで苦痛を感じる環境があるからだと思います。
学校、職場、スーパーやデパートといったお店などなど。

こうした場所へ「行き続けなければならない」というこだわりを捨ててみてはどうでしょうか。
もしかするとわたしたち対人恐怖症者は、「こうあるべき」という生き方を自分で決めつけてそれにとらわれやすいのかもしれません。

学校がつらいなら通信制高校に通う。
職場が嫌なら転職をする。
お店が苦手ならネット通販を利用する。
こんなふうに方向転換をするのも、ひとつの方法です。

わたしは以前に公務員として組織で(人に囲まれて)働いていましたが、クビになり現在は在宅で仕事をしています。
なかなか快適ですよ。
仕事そのものは多少つらいこともありますが、対人恐怖症からくるストレスはあまり感じません。
公務員のころは「いなくなりたい。死にたい」とよく落ち込んでいましたが、いまはそう思わなくなりました。
方向転換ができたことで、生きる気力が湧いてきたんでしょう。

いま苦しみを感じている目の前の環境がすべてではありません。
人生にはもっといろんな選択肢があるはずです。
視野を広げて、対人恐怖症でもやっていけるような生き方を考えてみることをおすすめします。

「逃げ」かもしれないが現実的な方法でもある

このような生き方に対して「逃げ」と感じるかもしれません。
たしかに対人恐怖症(視線恐怖症)という病気を治したいのであれば、自信をもっておすすめできない方法ではあります。
多少の苦しさやつらさは我慢したほうが恐怖の克服につながるでしょう。

しかし無理に克服しようとして余計に症状が悪化し、人生から逃げる結果になってしまう恐れもあります。
大学生のころのわたしがそんな感じでした。
視線恐怖症(脇見恐怖症)のままではいけない」と思って症状改善のため積極的に外出をしていましたが逆に症状は悪化していくいっぽうで、いつまで経っても治らない結果うつ病のような精神状態になり、自殺を考えるまでになってしまったんです。

治そうとして死んでしまったら元も子もありません。
だから対人恐怖症を治そうとせず病気と付き合いながら生きていくのは、現実的な方法といえます。
恐怖心と折り合いをつければ「生きていけない」とはならないし、「治らないから死にたい」ともならないはずです。

信頼を失うような「逃げ」は行わない

その折り合いのつけ方については、残念ながら人それぞれだと思います(汗)。
対人恐怖症の度合いは十人十色ですので、どこで折り合いをつけるべきかは断定できません。

ただ、「逃げることで相手からの信頼を失うかどうか」は判断基準のひとつにしたほうが良いでしょう。
人から信頼されなくなると孤立していき、誰にも頼れない状況になってしまいます。
打算的かもしれませんが、世の中で人は頼り頼られ生きているとわたしは思っているので、そのルールに従っているだけです。

「ここで逃げたら恩を裏切ることになるな」と思えるときは、対人恐怖症を理由として逃げるようなことはしていません。
たとえば、いままで面倒をみてくれた両親に外出の用事を頼まれたら引き受けています。
長年にわたって自分の孤独をまぎらわせてくれている彼女(現在は妻)からの頼みごとも基本的に断りません(海外旅行や街遊びが好きなので困ってはいるんですが)。

ただし、そのほかの物事については恐怖を感じないような生き方を可能な限り実践しています。
前述のとおり家で働いていますし、買い物はほとんどネット通販です。
役所の手続きなどの雑用もできるだけオンラインで行っています。

気をつけてほしいのは、信頼を失いそうだからといって相手からの要求を安易に受け入れないことです。
症状的に難しいと思ったら正直に相手に相談してみてください。
要求を引き下げたり、妥協案を示してくれるかもしれません。

それでも相手が「対人恐怖症克服の訓練になるから」と言うのであれば、ひとまず受け入れてみましょう。
実際に行動してみて症状が改善することがありますし、うまくいかなくても相手が自分の病気をよく理解してくれるようになります。

家族、彼女、親友に対人恐怖症を打ち明けたときの話」という記事で書いていますが、わたしは就職前に「対人恐怖症だから働きたくない」と両親に相談したところ、わかってもらえませんでした。
そして仕方なく働き始めてみたところ半年でクビに。
このときようやく両親が、対人恐怖症という病気についてやっと理解し始めたんです。

いま対人恐怖症を抱えたまま親元を離れて生活できているのも、父と母の理解があるからだと感じています。
わかってもらえていない状態だったら、病気のまま遠くで暮らせるわけがないと家に閉じ込められていたでしょう。

対人恐怖症だからといって生きていけない、死ぬしかないなんてことはありません。
自分の症状に合った生き方をみつけ恐怖心と折り合いをつければ、治らないままでも生きていけます。

たとえ「逃げ」だったとしても良いんです。
人からの信頼を裏切らない限りは。