簡単にいうと対人恐怖症(視線恐怖症)は「人(視線)がこわい」と感じる病気ですが、なかには特定の人にだけそうした症状が出ると訴える人もいるようです。
しかし個人的な見解としては、それは対人(視線)恐怖症ではありません。
心の病をむやみに悪化させてしまわないよう、別の角度から考えたほうが自身の健康のためになるでしょう。
対人恐怖症の対象は自分以外の全員
対人恐怖症や視線恐怖症になった場合は、自分以外の全員が恐怖の対象となります。
発症し始めの段階では特定の人が対象となる場合もありますが、対象範囲は少しずつ広まっていくのが一般的です。
対人恐怖症者は、自分とはまったく関係のない他人の存在や視線まで気にします。
親、上司、いじめてくる人や苦手な人だけでなく、赤の他人の前でもオドオドしてしまうのです。
対人恐怖症者になると人前で常に緊張感・不安感が強まり、人目を避けて行動したがるため日常生活が満足に送れません。
恐怖の対象となっている特定の人がいない場所・場面では、人前でも緊張せず行動できる。
たとえば、ひとりで電車に乗り街に出かけて買い物や食事ができる。
いまそのような状態であるなら、少なくとも対人恐怖症ではないでしょう。
長いあいだ特定の人のみがこわいなら、なおさら対人恐怖症である可能性は低いです。
前述のとおり対人恐怖症という病気は発症から年月が経つほど、さまざまな人がこわくなっていきます(最終的には人間の視線や言動というより存在そのものがこわくなります)。
対人恐怖症とは別の問題
特定の人がこわい、特定の人の視線が気になるからといって安易に自分を対人恐怖症(視線恐怖症)と決めつけるのは危険です。
もともとの性格が神経質であるほど、そう思い込むことでさらに症状が悪化していく恐れがあります。
心の病気のドツボにはまってしまわないために、対人恐怖症とは別の問題として考え直したほうが良いでしょう。
たとえば親がこわくて仕方ないのは、親子関係が対等でないせいかもしれません。
上司がこわいのであれば、自分の仕事ぶりに劣等感があるせいかもしれません。
また異性の視線だけが病的に気になるのなら、異性恐怖症と考えたほうが適切です。
(参考記事:「異性の目が気になるからといって視線恐怖症と思い込むのは危険」)
似たような事例として(同年代の)若者に対してのみ恐怖を感じるという方もいますが、それも対人恐怖症ではなく自分の容姿や性格への劣等感が根本的な原因でしょう。
そのほか日本人にだけ対人恐怖症のような症状が出る場合は、いわゆる「日本人嫌い」の状態になっている可能性があります。
日本人または日本社会の性格・性質に嫌悪感や苦手意識を強く抱いているために、日本人の存在や視線に対して異常に恐怖を感じるのかもしれません。
もしくは単純に「同族嫌悪」(自分と同じような人に対して嫌悪感を抱くこと)のような状態になっている可能性もあるでしょう。
普通わたしのような対人恐怖症者は、外国人に対しても「人がこわい」といった感情を持つものです。
いままで何度も海外旅行をしたことがありますが、どの国に行っても外国人の視線や咳・咳払いに恐怖してしまいます(わたしは咳・咳払い恐怖症もわずらっています)。
もちろん外国人恐怖症(外国人嫌悪)のような、人種差別的な心理ではありません。
対人恐怖症が慢性化すると、国籍関係なく「人」という存在に対しておびえてしまうのです。
特定の人に対してだけ恐怖心を抱く状態は、対人恐怖症とは別種のものだと思います。
何度も繰り返しますが、対人恐怖とは自分以外の人間すべてに対する恐怖心です。
他人の前で不自由なく行動できるなら、自身を対人恐怖症と考えないほうが賢明でしょう。