父親との口論をきっかけに家出をしましたが、一人暮らし中は自立できず結局は親(とくに母親)に頼ってばかりいました。
持病の対人恐怖症のせいで外出などが満足にできず、ほとんど引きこもり状態だったのです。

母親と一緒に買い物・外出

母に頼んで車で外出先に連れて行ってもらう

実家を離れ一人で暮らし始めてから、ネット仕事(アフィリエイト)の収入は少しづつ伸びていきました(一人暮らしを始めて2年後に月収30万円を突破)。
いっぽう対人恐怖症は少しも改善せず、スーパーでの買い物や外出の用事は母親と一緒に行っていました。

ある程度の食料はAmazonなどのネット通販で調達できましたが、当時(2008年ごろ)はカップ麺やお菓子類くらいしか入手できません。
乳製品、野菜・果物や冷凍食品を買うとなると、ネットスーパーが普及していない時代だったので外のスーパーやドラッグストアくらいしか選択肢がなかったのです。

しかし、わたしは近くのコンビニへ行くことすら恐怖で仕方ありません。
ひとりで買い物する勇気が持てなかったわたしは、実家に引きこもっていたときと同じく母親に頼るようになります…。
週に1度わたしの部屋へ車で来てもらい、スーパーなどへ連れて行ってもらっていました。

歯科・病院や役所などに用事があるときも同様です。
母親の車で外出し、わたしが用を済ませているあいだ母は駐車場で待ってくれていました。

長期化する引きこもり一人暮らし生活

やがてわたしは母親をもっと利用するようになっていきます。
スーパーへ一緒に行かなくなり、母親に買い出しを頼むようになってしまったのです。
役所での用事についても、母親が代行できるものであればお願いしていました。

こうなると一人暮らしというより、ほぼ引きこもりのような生活ぶりですね。
しかし、対人恐怖症に甘えきっていた当時のわたしは少しも状況を変えようとはしませんでした。

それでも母親は基本的に何でも頼みごとを聞いてくれましたし、父親もそうした母親の過保護を見て見ぬふりだったように思います。
「息子は心の病気で苦しんでいるようだし、金銭面だけでも自立していれば現状のままで仕方ない…」などと考えていたのかもしれません。

わたしと両親がそうした姿勢でいたせいか、この「引きこもり一人暮らし生活」は長期化しました。
2008年の春から2016年の秋くらいまで、8年間以上も続いてしまったのです。

途中、元彼女と再会し対人恐怖症リハビリの機会が増えましたが、両親の前ではあいかわらずでした。
彼女とは一緒に外出できるのに、母親には食料を買ってきてもらう…。
恋人の存在を隠しつつ親を利用していた自分はクズだなと、今でも自己嫌悪になります。

東日本大震災でも親に頼って引きこもる

東日本大震災(わたしが住んでいた地域では震度6強の地震)のときも、数週間の被災生活中はずっと母親に頼りっきりでした。
避難所へ行かず家に引きこもりながら震災を乗り越えられたのは、100パーセント親のおかげです。

水道の断水中は、母親が近所の井戸からポリタンクに水をくんで持ってきてくれました。
ガスが止まったときは、母親がガスコンロとガスボンベを調達してくれました。
停電中は、父親が来て車の電源を貸してくれました。
食料については、被災者で大行列の地元スーパーへ両親が買い出しに行ってくれました。

そこまで面倒みてくれるなら実家に帰って一緒に避難していれば良いのにと思うかもしれませんが、それはそれで対人恐怖症のわたしには苦痛なのです(汗)。
震災という非常事態にもかかわらず、なんともわがままな人間だったなと反省しています…。

わたしは一人暮らしをしていながらも、生活面ではあまり自立できていませんでした(室内の家事は自分で行っていましたが…)。
実家からそう遠くない場所に自分の部屋を借り、そこで親に頼って引きこもっていたような感じです。

ちなみに、わたしの「引きこもり一人暮らし生活」は元彼女との結婚を機に終わりました。
年老いていく両親にいつまでも頼るわけにはいかないと思っていたので、ひとまず親元から離れられて安心しています。

長年にわたり面倒をみてくれた母親、そして陰ながらわたしの病気に一定の理解を示してくれていた父親には感謝しかありません。
結婚後の新居へ引っ越しをした際は、部屋の片づけを手伝ってくれた両親を前にして「いままでありがとう」の気持ちでいっぱいになり号泣してしまいました(汗)。