対人恐怖症になると遅かれ早かれ、「家族(親)もこわい」または「家族がこわい」と感じるものです。
わたしの経験をふまえると、前者は一人暮らし中の人、後者は実家暮らし中の引きこもりの人に多いかもしれません。
以前は「家族にまで恐怖心を抱くなんて…」と思ったりしていましたが、別におかしなことではないと今は考えています。

家族も結局は他人と同じ「人間」

対人恐怖症になるきっかけというのは、ほとんどの場合は家族以外の他人だと思います(わたしはそうでした)。
なので「家族(または親)もこわい」と感じてくると、自分がいよいよ人としてヤバい状態になってきたと考えてしまうんですよね。

でも対人恐怖症がどんな病気なのかをふまえれば、家族に恐怖心をもつのも当然の流れでしょう。
家族、つまり両親や兄弟姉妹なども結局は「人間」という生き物であり、この点では他人と同じだからです。

わたしたち対人恐怖症患者は人間という存在に対してこわいと感じるわけなので、「家族もこわい」と感じてもなんらおかしなことではありません。
自分がヤバい人間になったかのように思い込む必要はないんです。

家族がこわい

とくに一人暮らし中の対人恐怖症者なら、「家族もこわい」となるのは結構ありがちな話という気がします。
実家で暮らしていたころとくらべて家族と接する時間が圧倒的に少ないので、家族に対する慣れがなくなってしまうんでしょうね。

わたしは大学生のころ一人暮らしをしていましたが、たまに実家へ帰ると家族にも警戒するようになっていました。
家に一人でいることに慣れすぎてしまい、同じ空間に自分以外の人間がいることに苦痛さらには恐怖を感じるようになったわけです。

また、実家で引きこもって暮らしている対人恐怖症者が「家族がこわい」となるのもよくある話でしょう。
引きこもっていると実家だけが世界のすべてになりがちです。
自分以外の存在は家族のみなので、おのずと恐怖心が家族に向かいやすいんだと思います。

わたしも実家で療養していたころは、だんだんと引きこもるようになるにつれ両親に対して緊張するようなりました。
とくに父親の存在には嫌悪感や恐怖感を覚えていたので、かなりビクビクしながら接していた記憶があります。

このように、対人恐怖症になれば「家族もこわい」「家族がこわい」と感じるのは自然なことです。
わたしも含め対人恐怖症患者なら誰もが多かれ少なかれ感じていることであり、自分自身がおかしくなってしまったわけではありません。

家族への恐怖心を無くすには

とはいえ家族にまで恐怖心をもってしまう状態を脱したいと願っている人もいるかと思います。
家族への恐怖心を無くすには、やはり家族に慣れていくことが大切でしょう。

対人恐怖症は人を避ければ避けるほど恐怖が大きくなっていく病気ですからね。
「家族もこわい」となったり「家族がこわい」となるのが嫌なら、家族と接することから逃げないでみてください。

他人に慣れるのとくらべれば簡単だと個人的には思います。
世の中には本当にいろんな種類の人がいるので、あるタイプの他人に慣れてもまた別のタイプの他人に嫌な思いをしたり挫折を味わいやすいのです。
家族なら多くても数パターンの人しかいませんので慣れていきやすいでしょう。

かくいうわたしは、家族への恐怖心を無理になくそうとはしていません。
自分の性格として受け入れています。
不思議なことに、「開き直り」をすると恐怖心がやわらいでいくんですよ。
いちばん楽なスタンスだと思っています。

家族以外の他人だけでなはく家族もこわいと感じるのは、対人恐怖症になればよくあることです。
別におかしくもなんともありません。
家族への恐怖心をどうにかしたいのなら家族に慣れるしかない気がします。

ちなみに当記事の話は、視線恐怖症の場合も同様です。
視線恐怖症は対人恐怖症の症状のひとつともいわれているので当然といえます。

「家族の目を見て話せない」、「家族からの視線も気になってしまう」、「家族にも脇見をしてしまう」といった症状が出るのもおかしなことではありません。
視線恐怖症になれば誰もが通る道でしょう。
症状でつらくても家族から逃げずにいれば、そのうち多少は症状がおさまると思います。