対人恐怖症とは、文字どおりに解釈すれば「人がこわい」と思う病気(心の病気)です。
ただわたし個人の見解としては、人に対する恐怖心だけでは不十分であり、日常生活での支障がなければ本当の意味での対人恐怖症とはいえません。

この記事では、対人恐怖症患者であるわたし自身の経験をふまえながら対人恐怖症の自己診断基準や具体的症状例について説明してみます。
対人恐怖症の患者歴は長い(大学生時代に発症してから10年以上)ので、専門家の解説ほどではないにしろ信頼性はそこそこあるはずです。

対人恐怖症の自己診断基準

人がこわい

対人恐怖症について自己診断をする際の基準は前述のとおり、人がこわくて日常生活に支障があるかどうかです。
人に対する恐怖心(または警戒心)を原因として、会社・学校・お店・電車などの人前での行動が苦痛に感じるなら対人恐怖症といえます。

他人や知らない人だけではなく家族や親しい人にも恐怖・警戒(に近い感情)を抱いている場合は、対人恐怖症が慢性化していると診断できるでしょう。
また、自宅でひとりでいても近隣の人の存在に緊張して落ち着かない場合は、統合失調症の「注察妄想」(監視されることへの不安・恐れ)も発症しているかもしれません。

当たり前の話ですが、まず「人に対する恐怖心(警戒心)」がないのであれば対人恐怖症と自己診断するのは早いです。
人前で苦痛を感じても、その根底に「人がこわい」という気持ちがないのなら本当の意味での対人恐怖症ではありません。

たとえば人の視線が気になるけれど恐怖までは感じていないという場合は、対人恐怖症とは診断できないでしょう。
わたし自身、高校生のころ視線恐怖症(脇見恐怖症や自己視線恐怖症など)を発症しましたが、「人がこわい」とまでは感じていませんでした。
日常生活に多少の支障はあったものの、人と接しようという気持ちのほうが多くありましたし家族関係・友だち付き合いは問題なかったのです。
この点は対人恐怖症患者との大きな違いといえるでしょう。

対人恐怖症患者には「人がこわい」という先入観が常につきまといます。
家族や親しい友人などにも恐怖心を抱いたり、警戒心を持ってしまうわけです。
ちなみに、こうした恐怖心のさらに奥底には人に対する不信感、嫌悪感(人間嫌い)、人を憎む気持ち、人への怒りなどの感情があったりします。

ただ「人に対する恐怖心」がはっきり自覚できても、人前での行動になんの支障もないのならやはり正真正銘の対人恐怖症ではありません。
「人がこわい」と思いながらも会社勤めや学校通いなどが問題なくできる状態は、少なくとも対人恐怖症とは診断できないでしょう。

たとえば、親しい人に裏切られたり失恋したことが原因で人に恐怖を感じるというならそれは人間不信と表現したほうが妥当です。
また、ショッキングな出来事によって恐怖心が芽生えたのならPTSD(心的外傷後ストレス障害)を疑ったほうが良い気がします。

対人恐怖症患者は、いつも人前で満足に行動ができません。
人への恐怖心から自分の行動にストップがかかってしまうわけです。
多くの患者が人目を避けて行動し、引きこもりになる場合も多くあります(わたし自身もそうでした)。

「人がこわい」からといって、その感情だけを理由に対人恐怖症だと自己診断してしまうのは百害あって一利なしです。
対人恐怖症と思い込めば思い込むほど悪循環におちいり、本当にさまざまな症状を発症してしまうかもしれませんよ。

「人に対する恐怖心」と「日常生活での支障(人前での行動に伴う苦痛)」。
このふたつが自覚できないうちは、自分のことを対人恐怖症だと決めつけないことをおすすめします。

対人恐怖症の具体的な症状例10個

対人恐怖症の症状例を10個ほど以下にまとめました。
各症状のリンク先には、その具体的な説明を書いています。

あくまでわたし個人の経験にもとづいたものであり、専門的な解説ではないことをご了承ください。
また、前述のとおり以下の症状例にあてはまっただけで対人恐怖症とは言い切れません。

ほかにも対人恐怖症の症状は多数あります。
有名な赤面症(顔が赤くなるのをこわがる症状)、吃音症(声がどもって口がうまく回らない身体症状)や多汗症(人前に出ると汗がたくさん出る身体症状)をはじめ、雑談恐怖症(人との会話を避ける症状)、異性恐怖症などなど。
(これらはわたしが体験したものではないので、この記事では解説していません。)

また対人恐怖症そのものについて、精神医学では社会恐怖症と表現されることもありますし欧米では社会恐怖症とみなすのが一般的です。
しかしわたしの意見としては、社会恐怖症と対人恐怖症とでは微妙なニュアンスの違いがあるように思います。

社会恐怖症の場合、恐怖の対象は人のみではなく文字どおり「社会」、つまり世の中に対して恐怖を抱くといった意味合いです。
対人恐怖症より恐怖の範囲が広いものだとわたしは定義しています。

社会との関わりを極度にこわがり自分の殻に閉じこもる、いわば引きこもりのようなイメージでしょうか。
わたし自身が引きこもりだったころの感情を思い出すと、それが社会恐怖症の文字どおりの意味に近い気がしています。

視線恐怖症

視線恐怖症とは、自分や他人の視線を異常に気にする、または周囲の出来事や現象を視線と結びつけ思い悩む症状のことです。
症状は細分化されており、脇見恐怖症他者視線恐怖症自己視線恐怖症正視恐怖症といったものがあります。
(各リンクをクリックすると、さらにくわしい説明や自己診断テストがみられます。視線恐怖症全般についての記事はこちら)

咳・咳払い恐怖症

咳・咳払い恐怖症とは、人の咳や咳払いを恐れる症状のことです。
自分のしぐさ・行動または存在そのものが原因で相手に咳・咳払いをされると妄想します。
視線恐怖症が慢性化していると併発する危険性が高いです。
(咳・咳払い恐怖症のくわしい説明と自己診断テストはこちら)

監視恐怖症

監視恐怖症とは、自分の行動が特定の相手に見られるのを恐れる症状のことです。
自宅の近隣住民に監視されていると妄想したり、外出先の防犯カメラを異常に避けたりします。
他者視線恐怖症が慢性化すると併発しやすく、嫌疑恐怖症とあわせて発症する場合もあるでしょう。

外出恐怖症

外出恐怖症とは、外に出ることを恐れる症状のことです。
自宅の外はもちろん、ひとりでいる空間から他人のいる外へ出ることに対して異常に緊張します。
視線恐怖症や咳・咳払い恐怖症が慢性化していると併発する危険性が高いです。

嫌疑恐怖症

嫌疑(けんぎ)恐怖症とは、自分が犯罪を起こした(または犯罪を起こしそう)と他人から勘違いされることを恐れる症状のことです。
実際に他人がそのような勘違いをしていなくても、「自分は疑いの目でみられている」と妄想します。
他者視線恐怖症や咳・咳払い恐怖症が慢性化すると併発しやすいかもしれません。

会食恐怖症

会食恐怖症とは、人前での食事に異常に緊張する症状のことです。
誰かと食事を一緒にとることはもちろん、ひとりでほかの客と同じ空間で食事をとることも恐れます。
自己視線恐怖症や他者視線恐怖症が慢性化していると併発する危険性が高いです。

表情恐怖症

表情恐怖症とは、人前での自分の表情を異常に気にする症状のことです。
とくに顔が引きつっていないか、口元が歪んでいないか、笑顔にこわばりがないかを極度に心配する場合が多いです(3つめの例は「笑顔恐怖症」ともいいます)。
正視恐怖症や自己視線恐怖症が慢性化すると併発しやすいかもしれません。

醜形恐怖症

醜形(しゅうけい)恐怖症とは、自分の顔や体の一部または全体に対して異常なコンプレックスを持ち、それらが他人の前にさらされることを恐れる症状のことです。
自分の見た目が悪いとの思い込みから、他人に対して罪悪感を抱くこともあります。
目つきの悪さについて悩んでいる場合は、正視恐怖症も併発する危険性が高いです。

電話恐怖症

電話恐怖症とは、人と電話で話すことに異常な緊張感を覚える症状のことです。
どもり、会話への苦手意識がおもな原因ですが、わたしのように咳・咳払い恐怖症を原因とする例もあります。
また電話相手ではなく、通話内容を誰かに聞かれている(盗聴されている)のを恐れる場合も電話恐怖症にあてはまるようです。

書痙

書痙(しょけい)とは、人前で字を書く際に緊張のあまり手が痙攣(けいれん)しているかのように震える・しびれる身体症状のことです。
ペンを握るときだけでなく、カラオケでマイクを握ったときに震えたりする場合も書痙と同様といってよいでしょう。
一人でいるときも書痙のような身体症状が起こるのであれば、それは老化現象かもしれません。

対人恐怖症とは簡単にいってしまえば「人がこわい」と感じる病気ですが、その自己診断は慎重に行いましょう。
人への恐怖心をもとに日常生活で支障をきたしていないのなら対人恐怖症ではありません。

前述した症状例に該当したとしても、自分が対人恐怖症だと安易に決めつけないことです。
そのほうがまだ症状克服の見込みが高くなります(対人恐怖症になったら絶対に治らないというわけではありませんが)。